ワシ氏、初歩的無知がバレる
※13日にアップし忘れたもの。
今週以降、書き込みに
ワシ氏との議論は終了しました。
では、最後の応答を振り返ってみましょう。
それまでの経緯を確認すると
4月7日
ワシ氏、幕府山事件について以下のように断定。
幕府山の捕虜銃殺事件は、
真夜中に揚子江岸で捕虜を釈放しようとしたが、
向こう岸からの銃声に驚いた捕虜達が暴れだし、
仕方なく撃った。そして日本軍にも数名の死者がでた。
・・・・という実に悲惨な事件なのだ・・・。
十条、断定した論拠を問う。
↓
4月9日(2日後)
ワシ氏、意味不明の日本語を述べる。
http://d.hatena.ne.jp/jujo/20080409/
2008/04/09 00:43
「論拠はあるが、今のところ保留する。」
↓
4月10日(3日後)
ワシ氏、「断定していない」とウソをつく。
http://d.hatena.ne.jp/jujo/20080412/
モノは言いようだな・・・(苦笑) (ワシ。表現と断定)
十条:>日本テレビが捕虜の銃殺を「虐殺」と表現したことに、今のところ私は問題を感じていません。
だったら、ワシも
『幕府山の捕虜銃殺事件は、
真夜中に揚子江岸で捕虜を釈放しようとしたが、
向こう岸からの銃声に驚いた捕虜達が暴れだし、
仕方なく撃った。そして日本軍にも数名の死者がでた。
・・・・という実に悲惨な事件なのだ・・・。』
と、表現したまでだ。
別に断定はしていないだろう?(笑)
バカですね。
日本テレビも「虐殺」と断定していますよ。
その断定が正しいのか、私自身は保留していますが、幕府山の銃殺が「合法」と断定するに足る根拠が示されない限り、捕虜殺害は「虐殺」だと表現して構わないと思いますよ、国際法に照らし合わせて。
しかし、「銃殺」が「仕方がなく撃った」と断定するには、断定するに足る論拠が必要です。
結局、断定するに足る論拠が出せないと観念したらしく、「断定はしていない」とウソをついたようです。
↓
4月12日
以後、ワシ氏は「推論」をあれこれ書き並べるが、12日にとんでもない初歩的無知をさらけ出す。
http://blog.goo.ne.jp/ojisannsama/e/c3f0642756cc2307e349a1d2fd2d5e39
2008年04月12日 10時06分59秒
>父の話は一貫して「両角さんなどは現場は知らないのだ。」です。
↑:ならば指揮官は誰だったんだろう??
本当に初歩的知識もないことを自ら暴露。
両角連隊長の手記の12月17日の記述は以下の通り。
両角は入城式→露営地と移動しており、殺害現場に一度も入らず。現場の指揮官は別の人間だった。
両角手記の12月17日の記述。
十二月十七日
私は山田少将と共に軍旗を奉じ、南京の入場式に参加した。馬上ゆたかに松井司令官が見え、次を宮様、柳川司令官がこれに続いた。信長、秀吉の入城もかくやありならんと往昔を追憶し、この晴れの入城式に参加し得た幸運を胸にかみしめた。新たに設けられた式場に松井司令官を始め諸将が立ち並びて聖寿の万歳を唱し、次いで戦勝を祝する乾杯があった。この機会に南京城内の紫金山等を見学、夕刻、幕府山の露営地にもどった。
もどったら、田山大隊長より「何らの混乱もなく予定の如く俘虜の集結を終わった」の報告を受けた。火事で半数以上が減っていたので大助かり。
日は沈んで暗くなった。俘虜は今ごろ長江の北岸に送られ、解放の喜びにひたり得ているだろう、と宿舎の机に向かって考えておった。
ところが、十二時ごろになって、にわかに同方面に銃声が起こった。さては・・・と思った。銃声はなかなか鳴りやまない。
この程度の初歩的知識もない人間があれこれ私論を言うのは勝手だが、まともに取り合う価値はないと判断。
お疲れさまでした (十条)
2008-04-13 03:58:03初歩的な無知をさらけだしていますね。
両角が現場にいなかったことも知らなかったようで。なのに、両角証言を信用していたのですね。
これでは、まともな議論を期待するのは無理ですね。初歩的レベルのワシさんがいろいろ推論をされるのはワシさんの自由です。
でも私は、そんな無知な人間の議論につきあうほどお人好しではありません。来週から忙しいので、「初歩的無知」な人との議論は終了させていただきます。
お疲れさまでした。
↓
4月13日
ワシ氏、慌てて現場指揮官を調べる
哀れな (ワシ。十条敗れたり!)
2008-04-13 12:01:58指揮官は田山さんだよ、
第一大隊田山芳雄大隊長。
ここでやめておけばよかったのに、ワシ氏…。