ワシ氏の信仰告白「日本兵は絶対強姦しない」


ワシ氏は、日本軍に「憲兵」が居たことを意図的に無視して、以下のような妄言を述べています。

ワシ。 2007/11/29 22:11

>「この種の外圧」

外圧とは何ぞや?
即ち『南京安全地帯の記録』である。
12月17日をピークに、前後10日間、「日本軍の不法行為」を沢山取り上げて報告している。
(陸軍中央が知らされた不法行為の)根拠はこれ以外に考えられないんだ・・・。
そしてその報告は「デマ」だ!って事だよ。

この場合の「内部?調査」は、被害を受けた側から出された「被害届け」を調べる以外に無いのだ。
“不届き者”が自己申告なんてする訳も無いからな!
じゃ、その被害届けは何処から来るか!?

国際委員会の宣教師達からに決まってるだろ?

憲兵の存在をスルーして「宣教師からに決まってる」?
やはり、南京事件の議論をする資格がないですね。

さて、ワシ氏は以下のように続けます。

ま、尤も被害はあっても「下手人」の判明しない事件が多いがね・・・。
陥落直後には既に「泥棒市」が出てるぐらいだからね・・・まさか日本兵が出品するなんて事はあるまい!??

だとしたら、答えは簡単!!
泥棒・略奪はシナ人がやったのだよ。

次、強姦についても、日本兵は絶対にやらんねぇ・・・。
陥落後、最初の一週間は、安全区は第7連隊のみの掃討戦だ!
こんな時に強姦なんかやる訳が無い!
自分を殺そうとするシナ人が平服に着替えて隠れ潜んでるんだぜ!?そんな状況でアナタ!  パンツが脱げますか?(笑)

オマケに日本軍は夜間外出禁止だ。
夜間に起きた強姦事件が全体の3分の2、
昼間の事件が3分の1だ。(意味が判るよね?)

何度も言うが、被害者は居るが下手人が判らない・・・。
これがどうして「日本兵のしわざ」なのか???

ワシには解らんねぇ・・。


「強姦についても、日本兵は絶対ににやらんね」というのは、ワシさんの信仰告白にすぎませんね。

「岡村寧次大将資料」には、稲葉第六師団長と牛島旅団長の以下のような発言が紹介されていますし、

(中略)近く漢口に進入するに際し、南京で前科のある第六師団をして如何にして正々堂々と漢口に入城せしむるかを師、旅団長と相談するに在った。ところが、稲葉師団長と第一線を承る牛島旅団長(後の沖縄の軍司令官)は、既にこの事に関し成案を立てていた。両氏が言うには、『わが師団の兵はまだまだ強姦罪などが止まないから、漢口市街に進入せしむるのは、師団中最も軍、風紀の正しい都城聯隊(宮崎県)の二大隊に限り、他の全部は漢口北部を前進せしむる計画で、前衛の聯隊を逐次交代し、漢口全面に到達するときには必ず都城聯隊を前衛とするようにする』と。(312頁)

稲葉師団長は以下のようにも述べていますし、

七月十五日正午、私は南京においてこの日から第十一軍司令官として指揮を執ることとなり、同十七日から第一線部隊巡視の途に上り、十八日潜山に在る第六師団司令部を訪れた。着任日浅いが公正の士である同師団長稲葉中将は云う。わが師団将兵は戦闘第一主義に徹し豪勇絶倫なるも掠奪強姦などの非行を軽視する、団結心強いが排他心も強く、配営部隊に対し配慮が薄いと云う。

大谷敬二郎氏(敗戦時憲兵大佐、東部憲兵司令官)『陸軍80年』には以下のような記述があります。

「昭和一三年一月はじめ、南京を訪問した陸軍省人事局長阿南少将が中島中将に会ったとき、”支那人なんかいくらでも殺してしまうんだ”とたいへんな気焔をあげていたとも伝えられていたが、この司令官のもとでは、殺人、略奪、強姦も占領軍の特権のように横行したであろう。現に彼は、のちに満州の第四軍司令官当時、蒋介石の私財を持ち出して師団偕行社に送っていたことがばれて、予備役に編入されている。

当時、東京にはこの師団の非道さは、かなり伝えられていた。こんな話がある。松井兵団に配属された野戦憲兵隊長は宮崎憲兵少佐であったが、あまりの軍隊の暴虐にいかり、現行犯を発見せば、将校といえども直ちに逮捕し、いささかも仮借するな、と厳命した。ために、強姦や略奪の現行犯で、将校にして手錠をかけられ憲兵隊に連行されるといった状況が続いた。だが、これに対しつよく抗議したのが中島中将であった。

この間の事情がどうであったか、くわしく憶えないが、当の宮崎少佐は、まもなく内地憲兵隊に転任される羽目となった。

これでは、戦場における軍の規律はたもてない。高級指揮官が、略奪など占領軍の当然の権利のように考えていたからだ。すでに軍はその質を失っていた

信仰告白を垂れ流す人間とは、議論不可能です。