伊藤純子議員、相変わらず

http://blog.livedoor.jp/junks1/archives/51014193.html

 そもそも、「従軍慰安婦」という言葉自体、戦時中には用いられていませんでした。調べてみると、「従軍慰安婦」という言葉は後になって作られた用語であることに気付かされました。花岡信昭氏によると、「女衒」といった民間業者が親にお金を渡して、嫌がる娘を連れて行ったこと、また、末端組織の暴走が一部にあったと言われていますが「国家や軍の正規機関が関与した事実は存在していない」と断言しています。

林博史教授の発表http://space.geocities.jp/japanwarres/はスルーするつもりらしい。

 日本軍が攻略した際に起きたとされる「南京30万人虐殺」。もちろん、激しい戦闘行為はあったし、一般人に成りすます便衣兵(ゲリラ兵)を掃討したことは私も認めるところであります。ですが、それは「虐殺」ではなく「正当防衛」です。事実、アイリス・チャンが書いた「ザ・レイプ・オブ・ナンキン」のほとんどが虚構であると見なされ、その事実誤認を指摘されたアイリス・チャンは拳銃自殺を遂げています。

捕虜殺害について日本軍史料を示したのに、今回もスルー。

 過去ブログで何度も申し上げていますが、「‘従軍’慰安所」は日本軍ではなく、ベトナム戦争の際に、韓国軍が設置したことは歴史的事実であります。

 これまで日本国内においても「強制連行」について否定する歴史家や政治家はたくさんいましたが、この「河野談話」がネックになっているため、内閣の連続性を担保するために「河野談話」を踏襲せざるを得なかった、と言われています。「強制連行」否定派の安倍首相も、こうした理由で謝罪をしたもの、と私は推察しています。事情とは言え、安倍氏にも落胆の色を隠せません。

いずれにいたしましても、河野洋平の発言とその背任的行為を私は絶対に許すことができません。また、私の河野洋平に対し疑いを持つこと、危ぶむ気持ちになんら変化はございません。また訂正するつもりもありません。むしろ、何の罪もない「馬」と「鹿」に申し訳なく思うばかりであります。